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神前結婚式の良さが改めて見直され静かな人気となっているようです。
結婚は、数ある人生儀礼の中でも最も晴れやかな人生の節目といえるでしょう。神さまのおはからい(御神縁)によって結ばれた二人が神さまの前で、人生の苦楽を共にして明るく楽しい家庭を築き、子孫の繁栄をはかることを誓い合います。
「神前結婚式」という形式が明確となり、一般に広まったのは、明治33年に皇室御婚令が発布され、皇太子(後の大正天皇)の御婚儀が初めて宮中賢所大前で行われたことに始まります。同様の神前結婚式を挙げたいという気運が国民の間に高まったことに応じ、東京の神宮奉斎会(現在の東京大神宮)が皇室の婚儀を参考にして民間での「神前結婚式」の様式を定め、翌明治34年に模擬結婚式を開催し、以降、改良、普及活動を行っていきました。今日「神前式」として行われているものは、この神宮奉斎会が創設したものが元になっていると言えます。
それ以前の結婚式は、家庭の床の間に神様や縁起物の掛け軸などを飾り、その前で夫婦の誓いを交わすというもので、結婚式自体は自宅で行われるのが一般的でした。
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内宮(ないくう)
天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
外宮(げくう)
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
伊勢原大神宮にはシンボルマークが2つあります。ひとつは内宮で、もうひとつは外宮を表現しています。丸/四角、赤/白、人/自然という2つの概念をイメージしてデザイン化されています。「一人より二人」「一つより二つ」ということで、お互いが存在してはじめてつり合いがとれて平穏な世の流れを生み出す、ということです。
「縁結び」「夫婦円満」「子宝」など、人生諸事何事も穏やかに進むよう「万事円満」を祈念する伊勢原大神宮の象徴です。
伊勢原大神宮の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615~1624)と伝えられます。元和六年(1620)のころに、山田曾右衛門(伊勢の人)と湯浅清左衛門(鎌倉の人)という人がいました。この二人は、大山参詣の途中で千手原という松原に一夜の宿を求めましたが、水音を耳にしてこの地が開墾可能であることを悟り、この地の中原代官・成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。すると、そこにだんだんと粕屋あたりの人々が集まってきて、現在の伊勢原市街の基礎が形成されたといいます。そこで曾右衛門は、この地の鎮守のために故郷・伊勢の神宮の神様を勧請し奉祭することにしました。こうして創建されたのが当神社の御祭神であり、その由来から当地は伊勢原と呼ばれるようになったということです。